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東京地方裁判所 平成7年(ワ)17998号 判決

原告

中村粲

右訴訟代理人弁護士

南出喜久治

被告

株式会社朝日新聞社

右代表者代表取締役

中江利忠

右訴訟代理人弁護士

秋山幹男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  (主位的請求)

被告は、その発行にかかる日刊新聞「朝日新聞」朝刊に、全国版通しで、別紙掲載要領第一の一記載の原告の論文及び同第一の二記載の広告を、同第一の三記載の形式で一回無料掲載せよ。

(第一次予備的請求)

被告は、その発行にかかる日刊新聞「朝日新聞」朝刊に、全国版通しで、別紙掲載要領第二の一記載の原告の論文及び同第二の二記載の広告を、同第二の三記載の形式で一回無料掲載せよ。

(第二次予備的請求)

被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成七年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、日刊新聞「朝日新聞」(以下「朝日新聞」という。)を発行する株式会社であり、現在にいたるまでその新聞朝刊紙上の「論壇」欄で、投稿者の記名論文を継続して掲載している。

(二) 原告は、獨協大学教授であり、その歴史観に基づき、「『戦争謝罪』国会決議を許さない国民の集い」の代表として、謝罪決議・不戦決議阻止運動を展開してきたものである。さらに、その運動の一環として、「朝日新聞」による報道が、被告の所属する社団法人日本新聞協会の別紙「新聞倫理綱領」及び被告が自ら定める別紙「朝日新聞綱領」に違反する偏向報道であるとして、被告に対し抗議行動を行ってきたものである。

2  投稿原稿の「論壇」への掲載合意(第一次)の成立

(一) 原告は、平成七年四月八日(以下、いずれも平成七年中の出来事であるから、年号の表記は省略する。)、被告に対し、「論壇」編集局宛て、別紙掲載要領第一の一記載の「『歴史を直視する勇気』とは」と題する原告の論文(以下「原論文」という。)の原稿を「論壇」への投稿原稿として発送し、被告はこれを受領した。

(二) 原告は、四月二〇日、被告の東京本社編集局企画報道室(以下「企画報道室」という。)「論壇」担当者である浅井隆夫(以下「浅井」という。)から原論文に関する面談の申し入れを受けた。その際、浅井は、原告に対し、原論文に引用され、原告が所持している慰安婦問題に関する政府の調査報告書写しの開示を要請されたので、原告はこれを承諾した。

(三) 原告と浅井は、四月二一日午後四時ころ、東京都内において面談したところ、浅井は原告の原論文が「論壇」に掲載されるためには、「いくつかの点で議論を『クリアする』必要がある」として、次の二つの条件を付した上で掲載することを承諾した。

その条件とは、

(1) 原論文掲載による読者、特に中国、韓国から予想される反発に対する配慮

(2) 記述内容を根拠付ける資料、根拠の確認

であり、原論文が四〇〇字詰原稿用紙四枚余であり、「論壇」の掲載容量字数内であることから、字数の制約や誤字脱字等の訂正等ではなく、専ら内容自体に関連するものである。

(四) そこで、原告は、浅井に対し、右(1)については、掲載にかかる原論文が記名論文であるため、反発の対象は被告ではなく原告自身であり、仮に、なんらかの反発がなされれば、そのことが、従来から争いのある歴史的事実について、今までなされなかった歴史の検証がなされる契機となり、そのこと自体が「論壇」の存在意義であって、それが知る権利に奉仕するものであることを説明し、右(2)については、いずれも資料の存在と根拠を説明した。

(五) これらの条件が、被告が原告に対し、編集の名の下で行われる検閲を受忍させる申し出でないのであれば、いずれの条件も原告の右説明によって成就しており、この時点で、原告と被告との間に、原論文を近日中に「論壇」欄に掲載する旨の契約(以下「第一次掲載合意」という。)が有効に成立したものというべきである。

なお、被告の要求する条件が、仮に、中国と韓国の反発がなされないような内容の論文に書き改めることの要求であれば、それはまさしく原告に対して被告の編集検閲を受忍させる趣旨となるが、

(1) 民法九〇条、一三二条によれば、編集検閲の強要という憲法二一条二項前段に規定する違憲(公序良俗違反)の内容または違憲(不法)の条件を付した第一次掲載合意は無効ということになるが、浅井は、あえて「検閲ではない。」と言明していたのであるから、仮に、検閲することが真意であったとしても、その不法の動機は表示されていないために、第一次掲載合意は無効とはならない。また、これらの不法(検閲の合意)を契約の内容とし、又はこれらの不法を付款とすることなど、意思表示の内容としていないのであるから、無効とはならない。

(2) 仮に、そうでないとしても、これら不法を招来せしめたことについて、原告の積極的関与は一切なく、専ら被告が一方的に編集検閲の強要という著しい憲法違反を犯した結果によるものであって、本来「補正」を条件として成立した第一次掲載合意が、被告の故意による妨害によって妨げられたと評価すべきである。従って、民法一三〇条、七〇八条但書の趣旨を類推して、無条件で第一次掲載合意が有効に成立したものと評価すべきである。

(3) ことに、その不法が憲法違反の場合であり、しかも、表現の自由という、国民の意思形成にとって根幹となる最も重要な人権侵害がなされる場合には、少なくとも、その直接の被害者である被侵害者の表現の自由を保護する方向で法律関係を規律するのが憲法の要請であって、右の規定にもかかわらず、違憲の条件のみを無効として、無条件の第一次掲載合意が有効に成立したものと評価すべきである。

(4) また、編集検閲という違憲行為を自ら行ったことを理由に第一次掲載合意の不成立または無効を被告から主張することは、信義誠実の原則に違反し、権利の濫用であって許されず、その効果として、被告は第一次掲載合意の履行義務を負う。

3  投稿原稿の「論壇」への掲載合意(第二次)の成立

(一) 原告は、浅井の指摘する箇所を書き直さなければ、原論文が「論壇」に掲載されない可能性が強いと判断し、可能な限り原論文と趣旨を同じくする編集検閲後の論文が「論壇」に掲載されることによって、従来までの朝日新聞の偏向報道を是正しうる第一歩となりうるとの意義と効果を認識し、次善の方法として、右編集検閲に基づいて自主的に補正した別紙掲載要領第二の一記載の「『歴史を直視する勇気』とは」と題する原告の論文(以下「修正論文」という。)の原稿を作成し、原告は被告に対し、四月二五日これをファックスで送付した。

修正論文は、主に被告が編集検閲で削除を求めていた

(1) 政府の調査報告によれば、慰安所における慰安婦の生活実態は必ずしも悲惨なものでなかったとする点と慰安婦の実数を二〇万人とすることが荒唐無稽である点が読み取れることに関する記述

(2) 日本軍が南京で三〇万人を虐殺したことを中国人は信じていないことや、南京の虐殺記念館にある白骨の山は文化大革命の犠牲者のものであることなどを語った中国人留学生の話に関する記述

の二事項を全面削除し、その余は加筆訂正である。

(二) 仮に、第一次掲載合意が有効に成立していなかったとしても、原告、被告間には、そのころ、第一次掲載合意に基づく掲載論文を修正論文に変更する旨の契約(以下「第二次掲載合意」という。)がなされた。

(三) 第二次掲載合意の不成立または無効を被告から主張することは、信義誠実の原則に違反し、権利の濫用であって許されず、その効果として、被告は第二次掲載合意の履行義務を負うことは、前記2(五)で述べたとおりである。

4  仮に、2及び3のいずれの掲載合意も認められないとしても、被告は、次のとおり原論文または修正論文の掲載義務を負う。

(一) 本件においては、原告が被告の偏向報道を抗議しつつ本件投稿を行うに到った経緯と、これを了知しながらその投稿原稿に基づいて検討段階に入った事情、さらに被告が準拠する新聞倫理綱領及び朝日新聞綱領の存在からすれば、たとえ掲載の合意がなされていないとしても、被告は掲載義務を負う。すなわち、

(1) 結果において原告の論文を掲載しないことが決まっているのであれば、原告は被告が行ってきた新聞倫理綱領違反の偏向報道を指弾し続けてきた経緯からして、徒労に終わることが確実な調整作業に応ずるはずはなく、ましてや、自己の学問的成果の一環として作成した投稿論文の意義を全く理解しえない被告に、該論文が見世物のように論われる対象とされることを拒絶したのである。被告が従来までの偏向報道を堅持するのであれば、被告の報道姿勢を根底から批判する原告の投稿の申出に対して、歯牙にもかけず無視すればよかったのである。

(2) ところが、被告は「論壇」において、謝罪文決議反対意見を全く掲載しなかった従来の報道姿勢とは異なり、原告に対し、投稿論文の検討調整を申し入れたのであって、ここにいたって、対立関係から友好関係へと転換され、一挙に信頼関係が形成されたのである。原告としては、被告が新聞倫理綱領を遵守して原告の論文に掲載するのであると信じたのであって、このことは当時の状況からして当然であり、この信頼は保護されるべきである。

(3) 投稿者と被告側担当者との間において、投稿論文について掲載を前提とする協議と調整に入った情況では、その信頼関係は、少なくとも掲載合意(契約)の予約がなされた段階と評価すべきである。このような信頼関係の形成は、段階を経て進展するものであるが、本件のように、被告が原告に「論壇」投稿論文の掲載に関する協議を申入れた以後のように、従来まで対立関係にあった当事者間において、揃ってルビコン川を渡るかのごとき劇的な情況があった場合には、このときをもって確定的な信頼関係が形成されたとみるべきであって、このような信頼関係の形成は、掲載合意に等しい価値がある。

(4) したがって、この信頼関係を被告の落ち度で破綻せしめたことにより、原状回復義務としての掲載義務を負担する。

(二) 仮に、掲載の合意がなされていないとしても、(一)に述べたとおり掲載合意がなされたに等しい信頼関係が形成されており、その信頼関係に基づいて、被告側と字数の調整及び字句の訂正など形式的な協議と調整を経ることを条件として、これを満たしつつ早晩掲載に至ることはいわば時間の問題であった。ところが、被告は検閲その他不法な意図により、故意に調整条件の成就を妨害して原告の論文の掲載を行わなかったのであるから、民法一三〇条を類推適用して、掲載義務が肯定されるべきである。

5  被告の担当者浅井は、五月一五日、修正論文も自己の編集検閲の目的を達していないとして、原告の修正論文の書き直しを求めた。その範囲は、修正論文の全内容にわたるもので被告の見解と異なる点について、ことごとく被告の見解にしたがった内容に変更せよと要求するものである。

これは、検閲の名の下に、言論の弾圧、言論の否定、あるいは歴史観の洗脳を強制しているものであって、原告の表現の自由を明らかに侵害するのみならず、原告個人としての尊厳を全く否定する行為である。

この行為は、憲法一三条、二一条等に違反するとともに、少なくとも、これらの人権規定によって意味内容を充填された私法上の一般条項である民法九〇条に違反するものであって、原告に対する不法行為を構成する。

6  被告は、今日にいたるも原告の原論文または修正論文を朝日新聞の「論壇」欄に掲載しない。

7  よって、原告は、被告に対し、次のとおり請求する。

(一) (主位的請求)

第一次的掲載合意に基づき、または不法行為に基づく損害賠償に代わる原状回復請求として、または前記4の理由に基づき、被告の発行にかかる日刊新聞「朝日新聞」朝刊に、全国版通しで、別紙掲載要領第一の一記載の原告の論文及び同第一の二記載の広告(右論文掲載義務の付随義務として、本件訴訟の確定判決に基づく掲載であることを標示する判決の広告を、右論文掲載の意義とこれにいたった経緯の説明として、原論文の掲載と同時にこれに付加して行うこと)、同第一の三記載の形式で一回無料掲載すること

(第一次予備的請求)

第二次掲載合意に基づき、または不法行為に基づく損害賠償に代わる原状回復請求として、または前記4の理由に基づき、被告の発行にかかる日刊新聞「朝日新聞」朝刊に、全国版通しで、別紙掲載要領第二の一記載の原告の論文及び同第二の二記載の広告(右論文掲載義務の付随義務として、本件訴訟の確定判決に基づく掲載であることを標示する判決の広告を、右論文掲載の意義とこれにいたった経緯の説明として、修正論文の掲載と同時にこれに付加して行うこと)を、同第二の三記載の形式で一回無料掲載すること

(第二次予備的請求)

不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として、被告の編集検閲とその結果としての論文が不掲載とされたことに対する慰謝料として金一〇〇〇万円のうち金一〇〇万円とこれに対する訴状送達日の翌日である平成七年九月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うこと

(二) 不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として、被告の編集検閲とこれによって掲載を遅延されたことに対する慰謝料として金一〇〇〇万円のうち金一〇〇万円とこれに対する訴状送達日の翌日である平成七年九月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うこと

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2  請求原因2(一)及び(二)の各事実は認める。

3  請求原因2(三)の事実中、原告と浅井が、四月二一日午後四時ころ面談したことは認めるが、浅井が原告に対し二つの条件を付した上で掲載することを承諾したとの事実は否認する。

4  請求原因2(四)の事実中、(1)に関する部分は認めるが、(2)に関する部分は否認する。

5  請求原因2(五)の主張はすべて争う。第一次掲載合意は存在しない。

6  請求原因3(一)の事実中、原告が原論文を修正した修正論文を作成して、その原稿を四月二五日ファックスで被告に送付したことは認める。

7  請求原因3(二)の事実は否認する。

8  請求原因3(三)の主張はすべて争う。

9  請求原因4の主張中、掲載合意が認められなくとも、被告が原論文または修正論文の掲載義務を負うとする主張はすべて争う。その余の事実はすべて否認する。

10  請求原因5の事実中、被告の担当者浅井が、五月一五日、原告に対して修正論文の書き直しを求めたことは認めるが、その余の事実ないし主張は否認ないし争う。

11  請求原因6の事実は認める。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

第四  判断

一  請求原因1の各事実、同2(一)及び(二)の各事実及び同6の事実は、当事者間に争いがない。また、請求原因2(三)の事実中、原告と浅井が、四月二一日午後四時ごろ面談したこと、同2(四)の事実中、(1)に関する部分、同3(一)の事実中、原告が修正論文を作成して、これを四月二五日ファックスで被告に送付したこと、同5の事実中、被告の担当者浅井が、五月一五日、原告に対して修正論文の書き直しを求めたことの各事実は当事者間に争いがない。

なお、証拠(証人浅井隆夫)に弁論の全趣旨を総合すると、朝日新聞の「論壇」欄(本件当時は原則として一週間に六回掲載)は企画報道室が担当していること、「論壇」への投稿は一日平均二〇数通あること、企画報道室では一読して書き直しをしても見込みがないと思われる原稿については直ちに不採用とすることを決めるが、そうでないものについては、事実関係、論理性、具体性及び説得力等について疑問点や足りない点を指摘して書き直してもらい、その上で「さまざまなテーマを扱う」「時機にあたってテーマを選ぶ」「多様な意見を掲載する」「読者に分かりやすく、説得力のあるもの」との観点から採否を決めていること、平均すると投稿三〇本に一本の割合で採用されることになること、「論壇」に掲載されるのは投稿原稿のほかに依頼原稿もあることの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  原論文及び修正論文の朝日新聞「論壇」欄への掲載請求について

1  第一次掲載合意または第二次掲載合意に基づき、原論文または修正論文の掲載を求める請求について

請求原因2の事実中、原告と被告の間に第一次掲載合意が成立した事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。また、請求原因3の事実中、原告と被告の間に第二次掲載合意が成立した事実は本件全証拠によるもこれを認めるに足りない(特に、原告本人の供述、原告が本件の経緯を記したものであるとされる甲三(雑誌「正論」一九九五年八月号に掲載された「私が体験した朝日新聞の検閲」と題する論文)を子細に検討しても、右各合意か成立したことを裏付ける部分は見いだせず、かえって、甲三中には「掲載する確約がなかった」ことが明確に述べられているくだり(一三四頁参照)さえ見いだせる。)。

そうすると、原告が被告との間に第一次掲載合意または第二次掲載合意が成立したことを前提として原論文または修正論文及びこれに付随する広告の掲載を求める請求は理由がない。

2  不法行為に基づく損害賠償にかえて、原論文または修正論文の掲載を求める請求について

(一) 前記争いのない事実に証拠(原告本人、証人浅井、甲三)と弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 四月三日、原告が代表者に就任している「『戦争謝罪』国会決議を許さない国民の集い」「朝日新聞の偏向報道を糾弾する会」の集会とデモが行われ、デモ終了後、原告ら数名が被告の東京本社を訪れ、被告の広報室長らと面会した。右席上、原告と被告側で朝日新聞社の報道姿勢などについてやりとりがあり、朝日新聞の「声」や「論壇」への投稿の取り上げ方が偏向しているとの指摘がなされた。その際、原告から「論壇に投稿したら採用するのか。」との趣旨の発言をしたところ、被告側は「努力を致しますが、何分編集権がないもので………」との趣旨の回答をした。

(2) 原告は、四月八日、原論文を被告の東京本社の「論壇」係宛て郵送し、被告はこれを同月一〇日に受領した。

(3) 原告の論文については、企画報道室の浅井が主たる担当者となり、室長及び他の室員らと協議しつつ、その内容を検討したところ、事実関係等について疑問点があるとして、浅井が原告に面会して検討を求めることとなった。

(4) 原告と被告の担当者浅井は四月二一日午後面談した。その際、浅井は原告に対し、「論壇」への投稿は一日平均二〇数通あること、社会の動きに応じて随時依頼原稿を掲載することもあるので、投稿された原稿のうち採用されるものはわずかであって競争率が非常に高いこと、「論壇」の読者層はさまざまであるため読みやすさや理解し易さを大切にしており、採否を決める前に大幅な改善をお願いすることが多く、七・八回書き直しをお願いして掲載しているケースもあるとの趣旨の説明をしたうえ、原論文について次のような指摘をして、原論分のままでは「論壇」への掲載は難しいとの趣旨の話をした。

ア 従軍慰安婦問題をめぐる河野官房長官談話と政府の調査報告書に関する記述は、元慰安婦らの証言などとも食い違いが大きい。調査報告書をお借りして検討したい。

イ 「軍の関与が慰安婦保護の面もあった」「慰安所の実態が必ずしも悲惨なものでなかった」「慰安婦二〇万人が荒唐無稽な数字」との部分は疑問があり、韓国等からの反発も予想される。その根拠を知りたい。

ウ 「連合国が日本に慰安婦を要求した例」としい記載されている長春第八病院の事例は一般に知られていないものであり、読者が理解しにくいので再検討をお願いしたい。またどのような資料があるのか。

エ 南京事件に関する記述について「城内の市民生活は回復しつつあった」としても「市民が処断の対象でないと周知されていた」と言い切る根拠となるか疑問があるので、表現などを再検討していただきたい。

オ 中国人留学生の話は、目新しい発言であり、事実がどうか判断しがたい、また微妙な問題でもあり、実名の方が説得力が増すのではないか。

カ ネール大学教授の話も実名の方が説得があるのではないか。

キ 「東南アジアの指導者には」から「これが悪名高い日本の朝鮮統治終焉の姿であった」までの部分について、東南アジアの指導者に関する記述は事実に反するのではないか。また朝鮮に関する記述は、韓国の歴代の政権やマスコミの姿勢とかけ離れており、このままの表現では誤解や反発を招くおそれがあるので再検討をしていただきたい。

ク 文末の「光と影を共に正視し、歴史の真実像を確認したいが故なのである」との部分は、原稿では「光」だけが列挙されており、読者に不可解な印象を与えるので、原稿全体に整合性を持たせるよう再検討をお願いしたい。

これに対し、原告は、韓国等からの反発については、反発は原告に対するもので被告に対するものではない、反発がなされれば争いのある事実についての歴史の検証がなされる契機になるなどと述べたが、アの調査報告書を貸し出すことを承諾し、原論文を再検討すると述べた。

(5) 原告は、四月二五日、修正論文を被告宛ファクシミリで送付した。浅井らを含む被告の企画報道室は、これを検討したが、なお、四月二一日に面談して指摘した問題点がほとんど解消されていないと考え、再度原告と面談することとした。

(6) 五月一五日午後、原告と浅井は面談したが、席上、浅井は原告に対し、次のとおり問題点を指摘した。

ア 前記アの点について、「官房長官談話が右報告書とは無縁なもの」「調査は名のみ」との記述は、無理があり、不適当ではないか。

イ 前記ウの点について、「葛根廟事件」については資料で確認させてほしい。

ウ 前記エ及びキの点について、前回と同様の問題点がある。

エ 修正論文で新たに加筆された「幼児を空中に放り上げて銃剣で突き刺したという話」について、日中戦争で中国がこうした蛮行をはたらいたとも読めるので、このままでは、中国からも反発が予想され、掲載責任がもてない。また「伊藤松」等一般に知られていない点はわかりやすさ、説得力の観点から再検討をしてほしい。

オ 前記クの点について、修正論文は一部表現が変更されているものの「影」についても触れて原稿全体の整合性を持たせてほしいとの指摘は受け入れられていない。これでは説得力に欠けるので書き直して欲しい。

これに対し、原告は「これ以上修正したら私の文章ではなくなる。」と述べ、一切の手直しを拒否した。それで話し合いは物別れに終わった。以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人の供述及び甲三の記載は採用できない。

(二) そこで検討するに、憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部または一部の発表の禁止を目的として、対象とされる表現物につき網羅的かつ一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを特性として備えるものを指すのであって、私人である被告の行為が右検閲に該当する余地はない。もっとも、被告の前記認定の一連の行為が何らの意味で民法九〇条にいう公序良俗に反する場合には不法行為に該当することもありえようが、被告は新聞の編集、発行者として被告の編集方針に基づき紙面を編集する自由を有しており、読者の投稿についても多数の投稿の中から掲載するに相応しいと判断した原稿を選択して掲載する自由を有していると解されるうえ(原告は、投稿された批判論文について、誤字や字数制限による訂正の要請以外は、原則として無条件、無修正で掲載すべきであると主張するが、そのように解すべき法的根拠は認められない。)、被告は投稿の掲載について新聞の編集発行者として掲載責任を負う立場にもあるから、被告が投稿の掲載責任者として、原告の分かりやすさ、説得力、事実関係の正確さ等の見地から、投稿者に対し、原稿の再検討を求めることも許されるものと解される。

しかして、前記認定の事実によると、被告の「論壇」担当者である浅井は、原告と会った際に、原論文及び修正論文のいずれについても、その記載内容について具体的に疑問点を述べて再検討を求め、一方、原告はこれを受けて原論文については再検討を約して修正論文を作成したが、そのさらなる修正については拒絶した経緯にあることが認められるのであって、右認定にかかる一連の浅井の行為が民法九〇条の公序良俗に反するもので違法性を帯び原告に対する不法行為を構成する余地は皆無である。

よって、被告の不法行為を前提とする原論文ないしは修正論文の掲載を求める原告の請求は失当である。

4  請求原因4の主張について

新聞倫理綱領ないしは朝日新聞綱領自体によって、原論文ないし修正論文の掲載義務が発生すると解する余地はないから、右の点に関する原告の主張は失当である。また、前記認定の事実関係に照らすと、本件において投稿者である原告と被告の間において原論文ないしは修正論文の掲載の予約契約が成立したことを認める余地はないから、その余の点について検討するまでもなく、原告の4(一)の主張はすべて失当である。また、前記認定の事実によると、原告と被告側が字数の調整及び字句の訂正などの形式的な協議と調整を経ることを条件として、これを満たしつつ早晩掲載に至ることはいわば時間の問題の状況にあったとは到底認めることはできないので、その余の点について検討するまでもなく、4(二)の主張もすべて失当である。

三  損害賠償請求について

1  被告が原告の原論文及び修正論文を朝日新聞の「論壇」欄に掲載すべき法的義務を負わないことは前記のとおりであるから、右義務があることを前提として掲載遅延ないしは論文の不掲載(第二次予備的請求)による慰謝料を求める原告の請求は理由がない。

2  前記認定のとおり、本件における浅井の一連の行為が原告に対する不法行為になる余地はないから、これらが不法行為であることを前提として慰謝料を求める原告の請求は理由がない。

3  よって、原告の被告に対する損害賠償請求は第二次予備的請求を含め、すべて失当である。

四  結論

よって、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官小久保孝雄)

別紙掲載要領〈省略〉

別紙原論文〈省略〉

別紙修正論文〈省略〉

別紙新聞倫理綱領〈省略〉

別紙朝日新聞綱領〈省略〉

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